「勤労感謝の日」ってなに? 働いている人に感謝する日? こんな名前だけど、じつはそうじゃないんです。本当の由来は飛鳥時代から行われてきた「新嘗祭(にいなめさい)」。 新嘗祭ってなに? なんで「勤労感謝の日」なんてヘンテコな名前になったの? 意外と知らない「勤労感謝の日」の由来をまとめました。
勤労感謝の日は「働いているひとに感謝する日」だと思ってませんか?
新嘗祭(にいなめさい)って?
宮中恒例祭典の中の最も重要なもの
「新嘗祭」は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。
もとは収穫を祝うお祭りだったんですね。
天皇が皇祖天照大神に新穀をはじめとする神饌を供え、ともに召し上がる儀式である。
現在でも行われている新嘗祭(にいなめさい)
この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉ると上もに、御自らも召し上がります。
天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。
びっくり! 天皇から天皇への口伝で伝わってきた
新嘗祭がどのように行われているか、一般の人は見ることが出来ません
古代から現代まで天皇から天皇に口伝と所作をもって伝えられてきた、いわば呪術的な秘儀である
皇太子は陛下のあとにつづいて神殿内に入り、陛下の御直会の始終を見て、その秘儀を身につけるのである
全国でも催される収穫祭「新嘗祭」
11月23日には、宮中だけでなく伊勢神宮など全国で収穫祭である新嘗祭が催されます。
新嘗祭の起源
新嘗祭が文献上初めて登場するのは歴史書『日本書紀』からです。同書中の、皇極天皇元年(642年)11月16日(同月2番目の卯の日)に新嘗祭を執り行ったという記述が最初です。
新米は新嘗祭が終わるまでは誰も食べないのが習慣だったそうです
11月23日になったのは明治以降
今日のように11月23日に変わったのは明治以降です。近代国家を装う以上日にちを固定する必要が生じ、新嘗祭のこの日を国民の祝日と定めたのです。
世紀の大化の改新の時代から11月の「下卯(げのう)の日」、つまり2回目の卯の日に行うよう決まっていたが、改暦が行われた明治5年の「下卯の日」が23日だったことから、この日に固定された。
どうして「勤労感謝の日」となったのか
「新嘗」という形で「神様への感謝の気持ちを、国民の代表(祭主)として表わす」意味があります。
正に、祭祀国家の面目躍如、といった祭りです。
天皇陛下が、国民の代表として神への感謝をささげる行事だった。
戦前の日本には、国の祝日と大祭日とからなる12の「祝祭日」があった。そのほとんどは紀元節、天長節など皇室の祭祀(さいし)を国民がともに祝う性質のものだった。
昔の日本の「祝祭日」とは、「天皇が国民を代表し神に祈る」日のことだった。
しかし昭和20年12月、GHQはいわゆる「神道指令」で、そうした祭祀を皇室の「私的な行事」として祝日から排除した
いわゆる人間宣言をさせて、天皇が現人神(あらひとがみ)であることを否定させたのに、天皇が祭祀を司る新嘗祭を日本の祝日にしては都合が悪かったんですね。
敗戦後、GHQにより新嘗祭のほかの「祭日」もすべてなくなり「祝日」になりました。
「祭日」には「皇室の祭典を行なう日」という意味があります。
ちなみに。勤労感謝の日にハッピーマンデー法が適用されず11月23日のままなのは…
「勤労感謝の日」は元は宮中儀式の新嘗祭ですから、11月23日であるほかはない、ということ。
(1)天皇の生誕や、宮中儀式に関わるもの
「昭和の日」(昭和天皇誕生日)
「天皇誕生日」(今上天皇の誕生日)
「文化の日」(明治天皇誕生日)
「勤労感謝の日」(旧新嘗祭)
「建国記念の日」(旧紀元節)
このように飛鳥時代から伝統の新嘗祭が起源だからです。そう簡単には日を変えられないのです。
何はともあれ
もとは収穫祭だった勤労感謝の日。
11月23日はゆっくり美味しいお米をたべたいですね。
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